ネットのQ&Aサイトに、こんな相談が載っていました。質問者さんは、21歳の男性。いまは出身地の隣の県に就職し、会社の独身寮で生活をしながら勤務しています。
寮には同期入社の社員もいるので寂しくはないのですが、友達のいる地元に帰るたびに精神的な安心感を覚えています。そのうち地元に骨を埋めたい、という意思が芽生えてきて、いつかは戻りたい気持ちが強くなったのだそうです。
望郷の念は当然?「サケは生まれた川へ帰る」
質問者さんの心は故郷への愛着で占められているようですが、一方でこんなことでよいのかという疑問も湧いているのか、「こんな気持ちで地元に戻り転職するのはゆとり世代、甘えなのでしょうか?」と冷静な質問を投げかけています。
これまでは都市部の給与が高いこともあり、地方を後にした若者が都市部の会社に勤めて、定年後に出身地に戻るサイクルがありました。いまでも若いうちは「地元を離れる」のは当然視される向きもあります。
その一方で、経済的な豊かさを手に入れても、どこか心が満たされないこともあります。マーケティングアナリストの原田曜平氏が「マイルドヤンキー」と名付けたように、「上京志向がなく、地元で強固な人間関係と生活基盤を構築し、地元から出たがらない若者たち」が新たに現れているという指摘もあります。
この質問にも回答者から、この望郷の念に共感する声が相次いでいます。
「誰しもそのような感情は持っていると思います」
「全然! 別に普通だし! 地元で転職先探すといいよ」
「生まれ育った環境を懐かしむのは、動物の帰省本能から生まれるものです。ウミガメは生まれたところへ帰ってくる、サケやうなぎは生まれた川へ帰る」
ふるさとは「遠きにありて思うもの」なのか?
その一方で、こんな風に質問者を揶揄する回答者もいます。
「ホームシック! 弱い!」
ノムリンさんも「そういう思いを持つのは普通のことだと思いますよ」と共感を示していますが、「実行に移すかどうかはあなた次第です」と結論を留保しています。
故郷に愛着があるのは「ゆとり世代」とは無関係としつつ、海外で働くことなども当たり前になりつつ時代に「隣県ならいつでも帰られるでしょ?」と、やや呆れる人もいました。
そして、ふるさとで大失敗をして地元にいられなくなる場合もあるとして、室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思うもの」という詩を引用して、こんなアドバイスをしています。
「働くという行為は、仲間を作ることができる反面、意図せず敵を作ってしまうような場合もありますし。"帰りたい"という気持ちと、その場所に"居ること""居続けること"は、全く違う感情です。
骨を埋めたい場所だからこそ、その場所を大切に考えて、"そこでは働かない"という考え方もあるんじゃないですかね?」
仕事ばかりの人生では味気ないけれども、打ち込める仕事のない人生も張り合いがない。それと同じように、愛する故郷との距離感をどう取るかは、職場を選ぶうえで意外と大事なことなのかもしれません。
ネットのお悩み相談をウォッチするコラムニスト。